寄生虫に関する検査・診断・治療および研究を専門とする研究室です

寄生虫感染症制御学教室史



 (旧 寄生虫学教室、医動物学教室)

1.教室の沿革

 寄生虫学教室は昭和25年6月に開設された。昭和23年制定の文部省医学教育基準で「医動物学(寄生虫学を含む)」が必修科目に定められたため、新制金沢大学医学部は同講座の新設を決めて文部省へ申請、25年4月に設置が認可されたことによる。発足時に認定された授業総時数は講義45時間、実習45時間で、単位数は3であった。
 初代教授には渡辺四郎(昭和8年第二病理学教室助教授になり、18年以降は研究室を第一病理学教室内に移し、通称渡辺病理として独立して研究に従事していた。24年6月学生部長に任ぜられ、教授に昇任)が任命された。新設講座の魅力もあって、太田五六講師以下十数名のスタッフを擁して研究を開始したが、教室名は従来どおり渡辺病理と通称され、教室の研究内容は寄生虫学ではなく実験病理学、とくに細胞学であった。
 昭和29年6月、大学院発足をひかえて医学部の機構改革と教室名の改正が行なわれ、渡辺病理学教室は正式に寄生虫学教室と呼ばれるようになった。30年4月に大学院医学研究科(博士課程)が正式に発足し、31年4月には寄生虫学講座に代わり「医動物学講座」が設置された。しかし、研究の主体は従来どおり、病理学分野の研究が続けられた。同年12月、渡辺教授が第一病理学教室主任に転出した後は太田五六助教授が教室主任となり、48年4月に第二病理学教室の教授として転出するまでの16年3カ月の間、教授不在のまま教育、研究の責を全うしたが、この時期の教室の研究内容も血管および肝に関する病理学であった。
 昭和49年4月、本学出身で寄生虫学を専門とする吉村裕之教授が秋田大学から着任し、翌年からは助教授はじめ教室スタッフも順次そろい、名実ともに寄生虫学教室としてスタートしたことになる。51年5月には講座名、教室名ともに医動物学から寄生虫学に変更された。吉村教授は15年にわたって講座を担当し、平成元年3月に定年退職した。
 吉村教授退職後は、近藤力王至助教授が教室主任となり、教授不在のまま6年間教室を運営したが、平成7年3月1日に教授に昇任し、同年3月末日に定年退職した。近藤教授退職と相前後して、教室スタッフ全員が他大学や他教室などへ転出し、後任が補充されなかったため教室は事実上消滅し、講義は5年半にわたって他教室の教授や他大学からの非常勤講師によってまかなわれた。
 平成12年、大学院大学化を翌年にひかえて寄生虫学教室が再開されることになり、大阪市立大学助教授(医動物学)であった井関基弘が教授として10月1日に着任し、教室名は13年4月から寄生虫感染症制御学分野となった。着任当初、基礎学舍北棟(現F棟)4階にあった「しらゆり会」事務室を改装して教授室とし、同4階にあった2つの学生控室を改装して実験室としたが、助教授や助手のポストは他教室で使用されていたため、まさに一からのスタートであった。平成15年4月に助手(所 正治)が採用されて教員2人態勢になったが、17年3月には井関教授が定年退職した。
 後任教授人事は、当時全学的に推進されていた教員定数削減のあおりを受けて凍結され、講師の所正治が教室主任として教室運営の任にあたり、現在に至っている。

2.歴代教授の略歴ならびに当時の教室業績



 初代教授渡辺四郎および教室主任太田五六助教授については、後にそれぞれ第一病理学教室の第3代教授および第二病理学教室の第3代教授に就任したので、記載は両病理学教室に委ねる。

第二代教授

吉村裕之(よしむらひろゆき)在職:昭和49年4月 〜平成元年3月




<教授略歴>
大正12年8月15日 石川県松任市に生まれる
昭和20年3月

第四高等学校理科乙類卒業
昭和24年3月 

金沢医科大学卒業
昭和25年10月 

金沢医科大学助手(病理学)
昭和27年9月

金沢大学助手(医学部病理学)。
昭和29年6月

金沢大学助手(医学部寄生虫学)。


講座名の変更
昭和29年10月

医学博士(金沢大学)
昭和30年4月

文部省内地留学研究員(慶応義塾
 大学医学部寄生虫学教室で原虫病学を、国立公衆
 衛生院寄生虫室で蠕虫病学を学ぶ。1年間)
昭和31年9月

千葉大学助教授(医学部寄生虫学)
昭和37年12月

米国アイオア州立大学留学
         (1年間)
昭和46年4月

秋田大学教授(医学部寄生虫学)
昭和49年4月 

金沢大学教授(医学部寄生虫学)
平成元年3月 

定年退職。金沢大学名誉教授
平成10年1月30日 逝去 享年74歳


<研究内容>
・ 組織病理学的手法による寄生虫の虫種鑑別法
・ 裂頭条虫症の疫学・診断・治療
・ アニサキス症の病理
・ 肺イヌ糸状虫症の病理
・ トキソカラ症(イヌ回虫症)の病理
・ 肝吸虫の生物学的ならびに病理学的研究


<研究成果>
 病理学教室出身の吉村教授は、寄生虫症の病理学的研究で卓越した業績を残した。人獣共通寄生虫症の研究にも教室をあげて取り組み、なかでも幼虫移行症であるアニサキス症、ヒトの肺イヌ糸状虫症の病理学的研究に加えて、虫体断端像による虫種同定など、寄生虫の組織病理学的診断の指標となる知見を多数示し、後々の各種幼虫移行症の病理診断に大きな貢献をした。また、医学生や臨床検査技師を対象とした教科書類を出版する一方、一般医家や社会人を対象に各種寄生虫症について予防医学的見地からの啓蒙記事も多数執筆した。
<代表的な著書>
1)「寄生虫学新書」(第1版〜第8版).文光堂,
  1966〜1988.
2)「臨床検査技師のための寄生虫学」.文光堂,1973.
3)「人体寄生虫病アトラス」.文光堂,1976.
4)「病原体を追った人びと — その栄光と残照」.
  北国出版社,1988.


<受賞歴>
昭和51年5月

小泉賞(日本寄生虫学会)
   「肝吸虫の生物学的ならびに病理学的研究」
昭和58年8月

第37回北国文化賞


<その他>
 吉村教授は本学を卒業してインターン終了後すぐに渡辺病理学教室に入り、助手となって病理学の研鑽を積むとともに、好酸球の研究で学位を取得した。当時の医学部長(谷 友次細菌学教授)の勧めもあって、研究分野を寄生虫学に転向しようかと思案していた吉村は、内地留学先の公衆衛生院で横川宗雄博士(Johns Hopkins大学での留学を終えて帰国間無し)に出会い、肺吸虫の研究に携わった。このときに寄生虫研究の面白さを実感したことで、その後の寄生虫学者としての道が決定づけられたという。昭和31年4月、横川が千葉大学医学部に新設された医動物学教室の教授に就任すると、同年9月に吉村は同教室の助教授となり、数々の業績をあげた。

第三代教授

近藤力王至(こんどうかおる)在職:平成7年3月1日〜同年3月末日




<教授略歴>
昭和5年3月20日 岡山県津山市に生まれる
昭和31年4月 甲南大学理学部生物学科編入学(大
阪府立大学農学部獣医学科より)
昭和33年3月 同上 卒業
昭和33年4月 大阪大学微生物病研究所副手
昭和36年6月 京都府立医科大学助手(医動物学)
昭和45年2月 医学博士(京都府立医科大学)
昭和49年10月 京都府立医科大学講師
昭和50年4月 金沢大学助教授(医学部寄生虫学)
平成7年3月1日 金沢大学教授
同年3月31日

定年退職
平成12年2月18日 逝去 享年69歳


<研究内容>
・ 幼虫行症に関する免疫学的研究
・ トキソカラ症(イヌ回虫症)
・ アニサキス症
・ 旋尾線虫幼虫症


<研究成果>
 吉村教授退職後も教室では近藤助教授を中心に幼虫行症に関する免疫学的研究を精力的に進め、トキソカラ症やアニサキス症をはじめ、各種幼虫移行症の血清学的診断と血清疫学的調査を可能にする多くの業績を挙げた。とくに、肺癌と肺イヌ糸状虫症の鑑別診断が可能になった功績は大きい。また、トキソカラ症の血清疫学的調査は、国内のみならず熱帯地域11カ国でも実施し、流行の実態を明らかにした。さらに、皮膚科領域で当時問題になっていた新しい皮膚爬行症の病原虫が旋尾線虫幼虫であること、その感染源が北陸ではホタルイカであることをつきとめ、ホタルイカにおける感染率や寄生部位も明らかにして、ヒトにおける感染予防に有用な基礎的知見を提示した。


<受賞歴>
平成5年1月 児玉賞(予防医学事業中央会学術賞)


<その他>
 国際協力事業団(JICA)の医療協力、国際緊急援助活動(JDR)やWHOポリオ撲滅計画、熱帯地域海外在留邦人の健康管理事業(熱帯医学協会)など海外医療活動にも教室として積極的に取り組み、派遣された各教室員は、グァテマラ(オンコセルカ症対策)、ソロモン諸島(マラリア対策)、トルコ、フィリピン(日本住血吸虫症対策)をはじめとする東南アジア諸地域で大いに活躍した。

第四代教授

井関基弘(いせきもとひろ)在職:平成12年10月〜平成17年3月  




<教授略歴>
昭和37年3月

大阪市立大学理学部生物学科卒昭和38年4月

大阪市立大学助手(医学部医動物学教室)
昭和47年10月

大阪市立大学講師
昭和54年12月 

医学博士(大阪市立大学)
昭和55年4月

大阪市立大学助教授
昭和64年1月

アメリカ合衆国出張(Case Western Reserve大学、客員研究員、1年間)
平成12年10月 

金沢大学教授(医学部寄生虫学)
平成17年3月

定年退職


<研究内容>
・ 各種腸管寄生原虫の遺伝子型解析
・ クリプトスポリジウムの疫学
・ 腸管寄生原虫の分子疫学


<研究成果>
 井関教授の在任期間は4年半であったが、それまで長年取り組んできたクリプトスポリジウムを中心とする各種腸管寄生原虫の研究に分子・遺伝子学的解析手法を導入し、多くの新知見を集積した。患者や様々な家畜、家禽、野生動物、ペット動物から分離したクリプトスポリジウム属やジアルジア属についての遺伝子型解析により、従来の形態学的手法では鑑別できなかった種の鑑別や同定を可能とし、多様な種内変異株の存在を明らかにした。その成果は患者の診断検査や感染経路の特定などに活用され、腸管寄生原虫の新しい系統分類体系の確立にも貢献している。


<代表的な著書>
1)「寄生虫学テキスト」(第1版〜第3版).文光堂,
  2000〜2010.共著
2)「新臨床内科学」(第8版,第9版).医学書院,
  2002,2009.分担
3)「病原微生物学」.東京化学同人社, 2002.分担


<受賞歴>
昭和55年 大阪市長賞(大阪市医学会)
      「クリプトスポリジウムに関する研究」
昭和61年 大阪市長賞(大阪市医学会)
      「鉤頭虫に関する研究」
平成9年  桂田賞(日本寄生虫病学奨励会)
      「クリプトスポリジウムに関する研究」


<その他>
 教室には付属病院はじめ各医療機関から、腸管寄生原虫症のみならず、あらゆる寄生虫症についての検査依頼や診断確認依頼が持ち込まれる。従来の形態学的診断や免疫診断に加えて、遺伝子診断法を実施して臨床サイドに協力する一方、新しい診断法の開発にも力を注いだ。

現教室主任(准教授)

所 正治(ところまさはる)在職:平成17年4月〜現在






<略歴、現在の研究および成果など>


 平成13年3月慶応義塾大学大学院医学研究科博士課程を単位取得退学、同年4月から慶応義塾大学助手(医学部熱帯医学寄生虫学教室)および国立感染症研究所寄生動物部協力研究員となる。平成15年4月金沢大学助手(大学院医学系研究科寄生虫感染症制御学)、平成16年2月学位取得(医学博士、慶応義塾大学)、平成17年4月金沢大学講師・教室主任(寄生虫感染症制御学)、平成28年8月金沢大学准教授・教室主任(寄生虫感染症制御学)となり、現在に至る。なお、平成19年4月の大学改組に伴い、教室は医薬保健研究域医学系寄生虫感染症制御学となった。


 主な研究内容は、
1)病原性腸管寄生原虫症の治療・予防
2)原虫の分子疫学・分子分類
3)腸管寄生原虫の網羅的検出


 これまでの成果としては、日和見感染症として先天性免疫不全やAIDS、および抗がん剤治療、移植時に見いだされるクリプトスポリジウム症の低レベル感染を検出可能な新規検出法、また新薬開発のためのシーズ検索に有用な新規薬剤スクリーニング法を確立したほか、インドネシアなどの途上国で現在進行中の海外学術調査では、 腸管寄生原虫の網羅的検出を実施することで、 再検討が進められている寄生虫の分子分類に新たな知見を見いだしてきた。
 また、「今日の治療指針2008」(医学書院)、今日の診断指針2010」(医学書院)、「今日の消化器疾患治療指針2010」(医学書院)等の臨床系のリファレンス出版に分担著者として協力する一方で、クリプトスポリジウムの呼吸器感染例、ジアルジア症における好酸球上昇と薬剤耐性例、赤痢アメーバ症の劇症型、移植および免疫再構築症候群で問題となるトキソプラズマ脳症、角膜炎の原因となるアカントアメーバ症、そして内蔵リーシュマニア症の輸入症例など、様々な原虫感染症に臨床と連携・対応し、報告してきた。
 教室では医学類に加えて保健学類における寄生虫学の講義と実習を担当しており、基礎配属、クリニカルクラークシップ、卒業研究の学生を毎年受け入れてきた。途上国でのフィールドワーク、熱帯医学研修、WHOでのインターンシップ等を体験した学生達の中には、卒後に当教室の大学院修士および博士課程に進学する学生もおり、海外からの留学生とともに熱心に寄生虫の研究に励んでいる。

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